投稿日:2008-01-30 Wed

「生物と無生物のあいだ」
福岡伸一さんの表題の本を読み終えた。
遺伝子組み替え操作をおこなっている生物学者は、
私の中では これまで
バカでゴウマンで どうしょうもない大人だった。
専門バカ! なんで こんな単純なことがわからないんだ!
■
1997年
遺伝子組み替え大豆が食料として日本に上陸することになって
ふるえた。
何かとんでもないことが起こる。
都市で育つ少年少女にも
周辺の公園の遊び場や 生垣の草むらに
虫や昆虫がいたであろう。
私たちの時代には
コンクリートでかためない川や 水草やあしのひろがる池ややぶがあり
魚が泳いでいた。
比較的大きな男の子たちは 川で泳ぎ
小さい子は
草の生い茂る川ふちに足をつつこみ 魚を追い出しては
すくいあみを持って捕っていた。
夏休みには 5〜 6人で遠出をした。
麦わら帽の下から流れる汗
蝉を捕り 蝶を追いかけた。
キラキラ輝く木々 なつかしい城山夏かげ場での日々。
そんな遊び場で 私たちは「生命とは何か?」
を 直感的に体得していた。
人工遺伝子組み替えには そうした直感が”ざわめいた”
福岡伸一さんは 「生命とは何か?」を生物学的に見せてくれた。
サイエンスと詩的な感性で。
それが「生物と無生物のあいで」(講談社現代新書 740円)である。
■
「少年の心はずっとはやっていた。待ちちれなくなった私は、卵に微小な穴を開けて
内部を見てみようと決意した。もし内部が”生きて”いたらそっと殻を閉じればいい。
私は準備した針とピンセットを注意深く、殻を小さく四角形に切り取って覗き穴を作った。
するとどうだろう。
中には、卵黄をお腹に抱いた小さなトカゲの赤ちゃんが、
不釣合いに大きな頭を丸めるように静かに眠っていた。
次の瞬間、私は見てはいけないものを見たような気がして、
すぐにふたを閉じようとした。
まもなく私は、自分が行ってしまったことが取り返しのつかないことを悟った。
殻を接着剤で閉じることはできても、そこに息づいていたものを
元通りにすることはできないということを。
いったん外気に触れたトカゲの赤ちゃんは、
徐々に腐り始め、形が溶けていった。
・・・生命という名の動的な平衡は、それ自体、
いずれの瞬間でも危ういまでのバランスととりつつ、
同時に時間軸の上を一方にたどりながら折りたたまれている。
それが動的な平衡の謂いである。
それは決して逆戻りのできない営みであり、
同時に、
どの瞬間もすでに完成された仕組みなのである。
これを乱すような操作的な介入を行えば、動的平衡は
取り返しのつかないダメージをうける。
もし平衡状態が表向き、大きく変化しないように見えても、
それはこの動的な仕組みが滑らかで、やわらかいがゆえに、
操作を一時的に吸収したからにすぎない。
そこでは何かが変形され、何かが損なわれている。
生命と環境との相互作用が一回限りの折り紙あるという意味からは、
介入が、この一回性の運動を異なる岐路へ導いたことに変わりはない。
私たちは、自然の流れの前に跪く以外に、そして生命のありようを
ただ記述すること以外に、なすすべはないのである。
それは実のところ、あの少年の日々からすでにずっと自明のことだったのだ」
(「生物と無生物のあいだ」p283〜285)
■
ウワァー
福岡さんの結論も、私たちの直感と同じだった
超微細な次元における生物のサイエンスを
熟知する生物学者として。
うれしい!やっぱり そうだったのか!
介入の最たるものである遺伝子組み替え技術には 体のどこかで
自分の生命が否定されてる理不尽さを感じていた。
取り出された遺伝子は もともとは生物の遺伝子であっても
(これが曲者なのよね)
取り出された時点で 人工的な紛い物になってしまう。
市販されている 除草剤耐性大豆やトウモロコシ、ナタネなどは
姿 形は同じでも通常のそれらとは、何かが変形され
なにかが損なわれたものだったんだ。
遺伝子組み替え食品に限らず、
化学肥料、食品添加物、放射能、電磁波その他
福岡さんのこの本は 私たちの健康にとってのケミカルなものを
判断する基準をあたえてくれる。
ぜひ 読んでみてください。読みやすいですよ。
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