アレイダ・ゲバラさん来日とキューバのこと
アレイダ・ゲバラさん

 南米の革命家 チェ・ゲバラは アメリカの抑圧からの解放の道を歩む南米では、人々に圧倒的に愛されている。たくさんの人々が着るTシャツの胸を飾り、おみやげにも誇りをもってプレゼントされる。
 その娘 アイダ・ゲバラさんが5月4日に初来日、短い滞在期間に 広島 京都 沖縄 東京等の各地を訪れ、講演・交流された。

 アレイダさんは 医師であった父の意思をつぎ小児科医として自分の国で働きながら、キューバ医療の取り組みを世界に紹介していられる。

 キューバは 農村医療から出発し、予防医学を柱に伝統医療に力を注いでいる。
ラテンアメリカ医科大学を創って 医師を志す全世界の貧しい若者たちを無料で養成もしている、有機農業大国でもある。

 訪問先のひとつ長野県佐久総合病院では、「予防に勝る医療はなし」とした地域医療と国際人道医療支援に力をいれた、故若月俊一院長の意思をついだ若い医師たちとの出会いは、ことのほか彼女を喜ばせた。

アレイダ・ゲバラさん2

 キューバは 15年前 ソ連崩壊と米国の経済封鎖強化によって、国家そのものの崩壊の危機に直面した。
日本と同じく国際分業政策をとっていて、食料自給率は40%、ソ連からの石油輸入は半減、化学肥料、農薬の輸入もストップ。自動車、料理用の燃料も不足、町中にゴミがあふれ、撲滅したはずの感染症も復活。暴動を抑えたのは、命を張ったカストロの説得だった。

 政府は 食料を配給し、市民に一人の餓死者がでないよう全力をつくす。カストロの「土地あるかぎり農地とせよ」との号令によって有機農業への転換が始まった。
そして、最悪の状況下でも国民の健康維持が優先された。

 いまや、有機農業大国、医療大国である。

2008年5月17日 チエ・ゲバラの映画、ビデオ、アレイダ・ゲバラさんの講演という、すばらしい幸運の日にめぐまれた友人の浜 烈子さんのいきいきとしたメールが、感動とともに伝えられた。

ひさびさに 鳥肌たつ思いを体験した。ありがとう浜さん、感謝します。
政治の力とはこういうもんですよね。 

みなさんも、長文ですが ぜひ読んでみてください。


からだからの旅 2008年版 メルマガ配信1号    浜 烈子     
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アレイダ・ゲバラ

5月17日、朝9時半から御茶ノ水の明治大学リバティタワーの中にいて、夕方まで過
ごした。午前は映画2本、ビデオ1本を見て、午後はフォーラムに参加。午後になると
800人入る教室は満員で、溢れた100人ほどが第二会場でビデオ中継参加した。主催者
の予測を上回る人びとの注目を集めたのは、キューバ革命の英雄、エルネスト・
チェ・ゲバラの長女アレイダさんだった。

午前はドキュメント映画『チェ・ゲバラ最期の時』と『チェ・ゲバラ英雄の素顔』を
続けて約2時間見た。午前の私は1950年代〜1960年代の映像で革命を生きたゲバラに
出会った。午後の私は現実に戻ったが、私たちの前に映像でしか会えなかった主人公
ゲバラの娘アレイダさんがにこやかな笑顔で立っていた。こういう時を得、場面に居
合わせる稀有な体験だけではなくやがて大きな感動も得ることになった。

アレイダさんが語る言葉はひとつひとつ、忘れていたものを呼び起こすように心に響
いた。キューバ革命が目ざしたものは“教育は人間としての権利である”と政権初の
革命政府は識字化に力を入れた。19世紀のキューバの詩人で独立運動家ホセ・マル
ティの「人びとは教養があって初めて自由になれる」の言葉を紹介した。1958年まで
は識字率33パーセント、今日98パーセント以上になった。

革命が目ざしたもうひとつのものが“健康は人間の権利である”だった。「人間の生
命は商売にはできない。医療を学んだら生命を守る」と自らも小児科医として内外で
医療活動に携わってきたアレイダさんは語った。今キューバは医療で注目されてい
る。映画『シッコ』でマイケル・ムーア監督が初めてキューバ医療を世界に紹介し、
『世界がキューバ医療を手本にするわけ』(吉田太郎著)という本が注目されてい
る。キューバの外交を「医療外交」と呼ぶひともいる。例えば、アレイダさんの話で
はこれまで34000人の医師をベネズエラに派遣したという。(1999年ベネズエラに
チャぺス政権が誕生し、産油大国ベネズエラはキューバとの貿易を飛躍させた。
キューバの医療はベネズエラのみならずカリブ海沿岸諸国、ラテンアメリカ全土から
医療留学生を無料で受け入れ、アメリカの貧困層にも及んだ)。

父チェ・ゲバラは医師であった。戦場でいつも負傷者の手当てをした。戦友に限らな
い。捕虜の負傷者を治療した。アレイダさんは「革命家は愛がなければ革命家といえ
ない」といつも言っていた父を尊敬し、自らも医者となった。「なぜ小児科医を選ん
だのですか?」という問いかけに、「教育とはいただいたものを返していくこと。ホ
セ・マルティが言うように“子どもたちは世界の希望、子どもたちはそれを知ってい
る”子どもたちに無償の愛を返すことができる」。アレイダさんは医学生最終年に、
ニカラグアに行く。戦争で傷ついた人びとを治療する実践にほとんどの医学生が参加
した。卒業をニカラグアで迎えたという。また1980年アンゴラで国際主義者としての
医療活動にあたるが、思い出すのも苦しいほど子どもたちの厳しい状況があった。紙
をかぶせられた一角があり、その紙をどけていったときそこに傷ついた子どもがい
た。その時の驚きを忘れない。今は学んだことが力になると感じている。

アレイダさんは最初にキューバのひとと日本のひとがこうして連帯していることを嬉
しいと挨拶され、尊敬するホセ・マルティの言葉「人間の徳というものを人間が認め
るのは、人間がすでに持っているからだ」を紹介した。初めての日本訪問で和式トイ
レに戸惑いながらユーモアも忘れなかった。講演は同じ小児科医で衆議院議員の阿部
知子さんとのトークや会場からの質問も含め3時間を越した。父ゲバラや革命につい
て、医療にとどまらず、経済封鎖での日本との関連やラウル・カストロ議長など多岐
に渡った。

アレイダさんは14日来日して最初に広島を訪れた。行きたかった場所だ。49年前ゲバ
ラは大阪のホテルを抜け出し広島を訪れた。その広島にぜひとも行きたかった。「広
島原爆資料館を見てフィデルや父を思ったわけではなく、別のひと、このような悲劇
を生んだ人たちを思っていた。辛い気持ちになった。父の手紙「広島を訪れたらもっ
ともっと闘おうという気持ちになるだろう」、その通りになった。ふたりの原爆を受
けたひとに会った。広島のひとがホセ・マルティの言葉を思い出させてくれた。「白
いバラを誠実な友だちに対して咲かせよう。残虐なことをしたひとにも咲かせよう」
広島はそんなバラがまさに出てきた場所だった…と。病院で子どもたちに聞かせてい
るという歌を歌って講演を終えた。

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